この夏、本コラム欄で、映画「シン・ゴジラ」における品川ルートの解明を掲載しました。解明を行ったのは品川歴史館・野田さんでしたが、以来、野田さんに関する質問が寄せられ、
野田さんって、学芸員さん?
専門分野は(品川の)地理・地形なの?
いや、映画でしょ。もしかして、怪獣の専門家かも・・・
と、諸説紛々、揣摩(しま)憶測が飛びかう状態になってきたため、今一度、品川歴史館へと足を運んで確かめてみることにしました。
野田さんは男性で、年齢は30代(推定)。品川区役所の事務職員とのこと。大学では日本史を学んでおり、近世史を専攻していたそうです。
専門が映画でも怪獣でもなかった野田さんは、もともと特撮映画には人並みかそれ以上の興味があったようです。しかし、やはりシン・ゴジラへののめり込み様は特別で、きっかけは品川初登場シーンで品川歴史館が破壊されていることだったといいます。野田さん、いつ、それに気づいたのでしょう。
「2016年7月に公開されてすぐに劇場に行きましたが、1回目の観賞では気づきませんでした。ある人から指摘を受け、すぐに(7月中)2度目の観賞に行き、品川歴史館がちょっと壊されていることや鹿嶋神社の森などを確認しました。言われなければ2回目は観なかったし、翌年3月にブルーレイを購入して詳しい分析を始めることもなかったでしょう」
おお、DVD版ではなく高額なBD版を購入しているとは。
ところで、圧倒的な話題作で自らの職場が登場しているのを知った時、どう感じたのでしょう。
「あっ、自分の職場が壊されているな、と思いました」
野田さん、あまりに当たり前の回答・・・しかし、
「壊されていたのは、ちょうどいま座っているあたりですよ」との解説。
品川歴史館は入るとすぐ受付があり、その奥の事務室あたりまでが右後ろ足で蹴られていたというわけです。うーん、それにしても他に何か思わなかったのでしょうか。そこだ、そこ!オレの上司が座っているから、やっちまえ!!なんて。
「いえいえ、決してそのようなことはありません。私は上司を尊敬していますから。これを観て、品川歴史館に来てくれたらいいな、と思いました」とどこまでも優等生の野田さんでした。
すっかり攻めあぐんだため、シン・ゴジラについて品川ルート以外の話を伺ってみることにしました。すると野田さん、シン・ゴジラには、過去のゴジラシリーズへのオマージュ・シーンが随所に見られる点について滔々と語り始めました。
「まずは効果音。例えば、ゴジラが倒れる音は、ダッダーンというように二重音がします。でも、倒れる様子ではそれがない(バウンドしているわけではない)。これは昭和のゴジラやウルトラマンなど、かつての東宝特撮に見られた表現です。咆哮も、第三形態は1954年の初代ゴジラ、第四形態が他の怪獣と戦う昭和のシリーズと同じ声です」
なるほど、音で攻めますか。
「足音も第四形態のゴジラは初代と同じです。大太鼓を叩いたような」
見直してみると確かにそうでした。総理官邸機能を立川に移す際、静かな夜にゴジラが歩くシーンがありますが、大太鼓の音そのものです。
野田さんの解説は続きます。
「セリフにも注目です。1984年版では、ゴジラが日本周辺に現れた時に核兵器の使用承認を求めるアメリカとソ連に対し、三田村総理(小林桂樹)が『もしあなた方の国、アメリカとソ連にゴジラが現れたら、首都ワシントンやモスクワでためらわずに核兵器が使える勇気がありますかと尋ねると、両首脳は納得してくれた』と断りの交渉経過を報告する場面があります」
シン・ゴジラでは、そのシーンに対応するセリフが赤坂新内閣官房長官(竹之内豊)から出ているとのこと。
「『巨大不明生物(ゴジラ)が活動を再開した時点で、熱核兵器の開始時刻は無条件に繰り上がる。その時は犠牲者もやむを得ないとし、速やかに戦略原潜の弾道弾による熱核攻撃を開始するというのが、安保理と多国籍軍の決定だ』との赤坂の説明に、部下が『遠いアジアの出来事だからって、無茶苦茶言いやがる』と嘆くと、『たとえここがニューヨークであっても、彼らは同じ決断をするそうだ』と部下を黙らせます。大国に対する意識の違いを感じます」
野田さんの思考パターンはやはり学者のそれ。日本の歴史をしっかりと踏まえています。
「1954年版では、ゴジラが東京湾に上陸するのを心配した男女がこんな会話をします。
『そろそろ疎開先でも探すとするかな』
『私にもどっか探しといてよ』
『また疎開か。嫌だなあ』
戦後9年、疎開という言葉が自然に出ています。それに対してシン・ゴジラでは、360万人疎開でバスに乗る人々から『疎開ってどういう意味?初めて聞いた』という言葉が小さく聞こえてきます。戦後70余年となり、疎開を知らない世代も出てきています。このセリフも意識して書かれたものでしょう。他には、自衛隊が戦闘だけではなく被災者の生活支援も行っている描写にも注目で・・・」
野田さんの言説は、ますます熱く強くなる一方でした。しかし、一番言いたかったことはこの一言だったそうです。
「シン・ゴジラでここが壊されているのに、ゴジラファンが来館してくれないのが寂しい。『シン・ゴジラを観て来ました』と言ってくれたら、至上の幸せです」
みなさん、品川歴史館で野田さんを探す“聖地巡礼”はいかがでしょうか?
野田さんが待つ品川歴史館
もちろん、野田さん不在時も楽しい品川歴史館です。誤解ありませんように(^_^;)
品川の歴史に触れ知見を深めた後は、ここを皮切りに品川の街に繰り出して、ゴジラに壊された場所巡りのコンプリートを目指すなどというのも、いいのではないでしょうか。
1985(昭和60)年、開館。日本考古学発祥の地といわれる大森貝塚と、東海道第一の宿場として栄えた品川宿を中心にした常設展示では、原始・古代から現代にいたるまでの品川の歴史が学べ、楽しめます。常設展示だけじゃなく、歴史講座や特別展なんかも人気です。
開館時間:午前9時~午後5時(入館は4時30分まで)
休館日:月曜日・祝日(日曜日の場合は開館、月曜日が祝日の場合は翌日も休館)年末年始、その他臨時休館日
観覧料:一般100円/小中学生 50円/品川区立・区内在住の小中学生、70歳以上、障害のある方は無料/20名以上の団体は2割引
<品川歴史館のサイト>
2018年12月2日(日)まで
観覧料:一般300円/小中学生 100円/品川区立・区内在住の小中学生、70歳以上、障害のある方は無料/20名以上の団体は2割引
<特別展ページ>
<[パート I ] 品川歴史館が推定!これがシン・ゴジラの足跡だ!>
<[パートII ] 「ついに全貌が明らかに」>
<[パートIII ] 「矛盾点や細かいこだわりを見抜く」>
(品川ウォーキングライター・キタロー)