しなロケでは、映画「あの日のオルガン」の平松恵美子監督へのインタビュー動画を公開していますが、1時間に及ぶ収録内容について、動画には収まりきらなかった部分を中心に3回にわたってご紹介しています。 最終回は、平松流映画づくりに関するお話です。
―1982年出版の原作に出会ったきっかけは
「シネマとうほく」社長の鳥居明夫さんが、82年当時に映画化したいと思っていたものの、予算のことや多くの子供たちが出るといった事情などで、映画化までたどり着けなかった。しかし、6年ぐらい前、虐待や親子心中、自殺など、いま子供がとても危機的な状況に陥っているのではと思ったときにこの原作を思い出し、ある人を介して私のところに話がやってきたんですね。
―要素がたくさんある原作ですが、脚本化にあたっては誰の視点で描くかすぐに心は決まりましたか
それははっきりしていました。最初から保母さんの目線で書こうとは思っていました。何と言っても20歳そこそこの保母さんたちがものすごいことをやり遂げたということが、私が原作を読んだ時の大きな感動要素だったので、それは伝えなきゃいけないと思いましたから。
―平松監督は脚本の名手。今回はどんな手順で書いたのでしょう
原作のルポルタージュは時系列になっていないんですよね。だから原作を一回ばらばらにして、時系列に組み立て直し、この時期にこの人がこんな証言をしているみたいなことを並べ直す作業をしました。その中で自分の心に触れる、いいなと思った話をいくつかピックアップしたんです。その上で、誰のどういう視点で書こうかと考え、新人である若い保母さんの視点で、ベテランの主任保母さんを見つめていく形にたどり着きました。
―監督の場合、脚本づくりで一番重視することは
やっぱりストーリーラインですかね。全体の流れとしてどういう風に物語っていくかってというのがきちんと出来ていれば、少なくともお客さんは混乱しないで済みますから。何を伝えたいかをはっきりさせて、それを編んでいくというところが、私は一番大事かなと思っています。
―品川ではロケされてないものの、空襲で戸越の街が出てきます
昭和19年11月24日にB29が来るようになってから東京で初めて爆撃されたのが、戸越の商店街のすぐそばの荏原というとこで、ものすごく被害にあっているんですよね。一応、映画の中では、そこを想定して描いています。京都のオープンセットで撮影をしていて、本当にお金がなかったんですが、いろいろ飾り直して、昭和の商店街風に見えるようにしているんです。京都の撮影所って基本的に時代劇を撮るところだから、ガラス窓を入れて昭和風に改装したり、電柱立てたりとかもしました。
―疎開先のお寺の本堂も、時代劇のセットとか
そうそう、奉行所のオープンセットなんですよね。どう考えても奉行所にしか見えない、お寺の本堂に見えないですよね、とか言いながら、いやこうしたら見えるんじゃないですか、といったようなことをデザイナーが本当に一生懸命考えてくれて、なんとかあのような形に仕上がりました。
―今回の映画は、前作「ひまわりと子犬の七日間」でもそうだったのですが、涙は出るものの、泣かそうという意図はあまり感じません
ありがとうございます。私は別に泣いてもらわなくても全然構わないんです。ただ、泣くことは人間の持っている素晴らしい感情のひとつで、笑ってもらいたいなという思いがあるのと同時に、涙がぽろっと出てしまう、そんな両方こそが両方の感情を持ち合わせていることそそが人間らしさだと思います。動物にも怒りとかはありますけど、笑うとか泣くというのは人間的でいいなと思っているので、そういうのは大事にしたいと思っています。
―監督はご自身で作られた作品を見返して泣いてしまうことは
今回は、お恥ずかしいんですけど、一番最初に全編つないで観たときに泣いてしまったんですね。こういうのはよくないんだけど、それは物語に接して泣いたというよりは、出ている子たちが愛おしすぎて泣いてしまったというか。もうこの子たちと撮影できないんだなあ、終わっちゃったんだなあ、ということもちょっと相まって、今回は泣けましたね。
―冒頭に出てくる影絵には、なにか意図があったのでしょうか
あれ、キャメラマンのアイデアなんですよ。最初、私は脚本の中で紙芝居と書いていたんです。そうしたら、防空壕の中というのは暗いから影絵の方がいいんじゃないかと言われてなるほどと思い、影絵にしました。どんな話にするかは助監督たちのコンペで決めました。本当はものすごく長い話を考えていたんですよ。なので、今回仕上がった物語は、実は一部分だけなんです。
―戦争、平和、(家族)愛などの大きなテーマの他に、最近、問題になっているようなことを彷彿とする要素があるように思いました。保育士さんの待遇問題とか。深読みしすぎかなとも思うのですが・・・
深読みしてもらいたいなと思って作っている部分は、いっぱいあります。保母さんというのは人の命を預かる仕事ですからね。もっとみんなに彼らの仕事の価値をきちんと捉えてほしいと思いますね。
―疎開先の軍国おじさんがよそ者を排除するのも、ここのところ世界で起きているような状況です
原作の中にも、生産性のない消費班という言葉がありました。原作のまま使ったと思うんですけど、ひどい言葉ですよね。
―いろいろな問題が影絵のようにじわじわと見えてきます
空襲という言葉を、去年もたくさん起こった「災害」と置き換えてこの映画を観直すことができるなと思ったんですよね。ある災害が起きて、その地域に住めなくなって、誰かの手を借りてどこかへ移っていかなきゃいけない。でも、そこにもまた次の災害が起こるかもしれない、といったように、案外、日本は今そういった状況に置かれているかもしれないなと。その時にどうやって生き抜いていくかと言うと、自分の頭で考えて行動を起こしていく、そして周りの人たちに助けを求める、そういうことの連続、つながりなんじゃないのかなと、そんなこともちょっと思ったりしましたね。
歴史から学ぶ要素はいっぱいあると思います。でも、学ぶだけじゃつまらないですからね。何かを考えたり、話したり、そういったことのきっかけになれば、映画はそれで十分なんですよね。そのために笑ったり泣いたりしているわけですから。