しなロケでは、映画「あの日のオルガン」の平松恵美子監督へのインタビュー動画を公開していますが、1時間に及ぶ収録内容について、動画には収まりきらなかった部分を中心に3回にわたってご紹介します。 第一弾の今回は、子役たちに関するお話です。
―原作「君たちは忘れない 疎開保育園物語(再刊「あの日のオルガン」 君たちは忘れない 疎開保育園物語)」と出会って感じたことは
映画にするのは大変だなと思いました。これまで山田洋次監督と多くの仕事をしてきた中で、たいがい私は子供担当。山田さんの下で4~5人の子供たちだけでも大変だったのに、未就学の4~6歳ぐらいの子が、わらわら何十人も出てくるなんて考えただけでぞっとしましたね。
―子供と映画を作る時に一番難しいところは
大人が子供を作ってしまうんですよね。小学校中学年以上とか、理解して自分の言葉で台詞を喋れる子なら、お芝居もいいかという部分があるんですが、今回は小さい子たちだから子役芝居にしてしまうとつまらない。お芝居をさせると子供ながらの魅力がぽろぽろとこぼれ落ちる。それぐらいの子供たちを常に画面の中に取り込んでいかなきゃいけないとなったとき、一番いいのはドキュメンタリーのように撮るということだけれども、ドキュメンタリー風に撮って、このお話が観るに耐える物語になるだろうかというところを悩んだりしました。
―たくさんの子をオーディションしたんですか
しましたね。たぶん、うん百人という数を。オーディションでは、「おかあちゃん行かないで」のような台詞など、一応、ちょっとしたお芝居はしてもらったのですが、それよりも、「こんにちは」と入ってきたら、何でもいいから一曲ずつ歌を歌ってもらったんですよ。ちゃんと歌が歌えたかとか、こんにちはと言えたかとか、そんなことの方が大事だったりした。それから、なるべくきょうだいのいる子はきょうだいで来てくださいねとお願いをしました。そうすると小さい方の子が何もできないと、お姉ちゃんやお兄ちゃんが頑張ったりする。そういう組み合わせが良かったりしました。そんなことを見ながら決めていきましたね。
―即決のような子はいましたか
いましたね。劇中でおねしょばかりをする子(まことくん)の役にキャスティングした子は、来た時からすごく可愛くて。即決でしたね。(選ぶ基準は)いつもの自然な表現、振る舞い、笑い、わがままといったことも含めて、いろんな要素はあります。だけど、どうしてもお芝居をしてもらわなければいけない子も必要だった。一人は健ちゃんという役の男の子で、もう一人はやっちゃんという役の女の子。この2人には、あるシーンで泣いてもらわなければいけなかった。例えば、もうお母さんと別れ別れになって会えないかもしれないんだよ、そんな時どんな気持ちになる?お母さん行かないでって言っているうちになんだか悲しくなって涙が出てきたりとかするよね、と教えてあげる。すると、だんだんそういう気持ちになって泣ける子っているんですよね。そんな男の子と女の子を1人ずつだけ、東京でオーディションをして決めました。あとは全部京都を中心とした関西の子たちです。東京の子たちはオーディション慣れしていて器用な子が多いのですが、京都の子たちは性格も顔立ちも素朴な子が多くて、そのことにとても助けられましたね。
―現代っ子たちは、丸刈りやおかっぱ頭という戦時中のスタイルを嫌がりませんでしたか
嫌がりますよね。だから、山田組で映画「母べえ」の時に培った経験を生かし、断髪式をしたんです。男の子、女の子、みんなに入ってもらって、メイクさんの応援も頼んで、一斉におかっぱ、いがぐり頭にしました。男の子のうち2人だけ私がいがぐり頭にしたんですが、やったことがないので見事なトラ刈りになった。終わりましたってお母さんに返したら、お母さんは、ひえっ!と言って驚かれていて(笑)。「お母さん大丈夫です。責任もって目立つところに入れますから」。「お願いしますね、監督さん」って(笑)。そんなエピソードもありました。みんなで一緒にやれば誰も文句言わない。服装の方も一斉にあわせました。
―「お山の杉の子」など学校では習わない歌も出てきましたが、ちゃんと歌えましたか
素直に歌っていましたね。そんなに上手すぎず下手すぎず。オーディションでは好きな歌を歌ってもらいましたが、アニメの主題歌が多くて童謡を歌う子がほとんどいないんですよね。みんなで一緒に歌える童謡というのを、今は習わなくなったのかと感じましたけど、それは子供たちだけじゃなくて、保母さんたちのオーディションをした時も、案外みなさん童謡は習っていないようで、なんだか寂しいなと思いましたね。でも、今回、映画で使う童謡を選ばなくてはいけないので、私自身久しぶりにたくさん聴きましたけど、改めて童謡っていいなと思いました。童謡はおばあちゃんと孫が一緒に歌えるといった、本来は広くみんなが歌えるようなもので、もっと大切にするべきだとしみじみ思いました。
―「うれしいひなまつり」を歌うひなまつりのシーンも泣けます。食生活もままならぬ中で、菱餅を作ってもらって楽しそうに歌っているのが・・・
あれ、ほんとに大根で作っているんです(笑)。あんな風にしたら分からないなあとは思ったんですが。(あのシーンの後、両親が東京に帰ってしまった健ちゃんが泣くシーンは)本当に泣いているんですよね。泣くまで私、待っていたんですよ。
―子供相手は、やはり待たないといけませんか
あの子が泣くために待った時間はあったけど、基本的にはそんなにありませんでしたね。あと、本当に寝ている顔を撮ろうと思ったんですけど、3月にオープンセットのロケだったので寒くて、みんな寝るどころじゃなかった。あまりにも布団が寒そうなので、スタッフに布団に入ってもらって人肌で温めてもらったりしたんですけど、あれはちょっと残念だったかな。
―子供たちに手を焼いたことは
物語冒頭の道を歩いていくシーンは、やっぱり大変でしたね。それから、物語終盤で歌った「故郷(ふるさと)」のところ。それまでは整然としたことをほとんどやっていないんですけど、あそこだけ一種の卒業式という意味あいだったので、きちんと並んでやりたかったのですが、撮影も最後の方だったためだいぶ飽きちゃって。その時、戸田さんが「仕事やで!」といった感じで初めて叱ったんですね。そしたらみんなびっくりして、ビシッとなった。戸田さんてすごい人だなあと思いましたね。