ゼームス坂。気になるなまえのこの坂は、「南品川四丁目」交差点から「ゼームス坂上」交差点までの約1キロの道のり。整然とした街並と下町の雰囲気が共存し、文学の香りを感じながらの散策もできる、品川区自慢の坂道です。
2004年に出版された「ゼームス坂物語」(高尾五郎著、清流出版)は、全4巻・36編からなる短編小説集。何かを抱えて学校に行けなくなった子供たちと、やはりそれぞれに重荷を背負っている大人たちが交流し、自らと格闘しながら成長していくこのお話は、心にじわじわと来る名作です。ゼームス坂中腹の「ゼームス塾」に集まる子供たちの声が聞きたい、彼らに会ってみたい、という思いに駆られるほど。今回は、第一京浜「南品川四丁目」を起点に坂道を下から上へと歩き、小説の舞台となったこの街の魅力を探ります。
交差点から「ゼームス坂通り」の標識を過ぎると、右手に見覚えのあるそば屋さんが。あっ、ここは「サラメシ(NHK)」の2019年7月放送回で、出前の様子を密着取材されたお店。ここにあったんだ!と興奮しつつ歩いていくと、道は左へとカーブしていきます。道なりではなく直進すれば、ロケに使えそうな美しいレンガ道もあって、いきなりいい雰囲気。しかし、ここは誘惑に負けず左へ。
少し行くと、昭和な雰囲気の中で本格的なコーヒーがいただけそうな喫茶店がありました。道の反対側、写真手前に植え込みが写っていますが、近くにはアセビの木も。「ゼームス坂物語」には、坂の中腹にある喫茶店が何度か登場します。店名は、「アシビ」、「馬酔木」、「アシベ」と微妙に変わりますが、もしかしてこのあたりをイメージしているのかもしれません。
ゼームス坂通りには竹垣も見られ、地元のみなさんが、この道、この坂を大切にしている様子がうかがえます。そこにはゼームス坂の歴史が深く関わっていそう。実はこの坂、以前は「浅間坂(せんげんざか)」と呼ばれ、とても急斜面でした。地元の人たちが大変苦労している様子を見た英国人J.M.ゼームスは、私財を投じてここを緩やかな坂に改修。明治20年代にこの街に移り住んでいた彼は、近所の子供たちをとても可愛がっていたそうで、人々は、いつしか親しみと感謝を込めて「ゼームス坂」と呼ぶようになったとのことです。
J.M.ゼームスについて詳しくはこちら
ゼームスの邸宅跡は、喫茶店から200メートルほど行ったT字路を右折した左手。今はマンションになっていて、入り口には碑も建っています。そして、その向かい側には、もう一つ別の碑が。「高村智恵子記念詩碑」です。詩人の高村光太郎は、妻・智恵子のことを詩や短歌にした「智恵子抄」を出版していますが、その中に智恵子臨終の様子を「レモン哀歌」として遺しています。この詩碑には光大郎直筆のレモン哀歌が刻まれていて、自らしたと思われる文字校正の跡もそのまま記されています。これは一見の価値あり。そう、ここは智恵子が入院してその生涯を閉じたゼームス坂病院があった地なのです。
高村智恵子と詩碑について詳しくはこちら
ゼームス坂に戻りましょう。先ほど入ったT字路の少し手前ぐらいから勾配は段々ときつくなり、坂は中腹へとさしかかります。こんなところに住んでみたいなあと思えるマンションが建つ中に、銅板張りの商店など昔ながらの街並も残る素敵なこの道。江戸の暮らしぶりも漂っています。「ゼームス塾」は、坂の中腹から階段を下りて、家が建
て込む裏通りにあるという設定。探してみると、階段はないものの、それらしい坂道はいくつかありました。次回のコラムでご紹介します。
美しい中腹を上りきると、そこは大井町駅周辺となり、一気に飲食店が現れます。ゼームス坂物語にも、大井町の居酒屋に行くという場面が何度か出てきます。長い坂を歩いてお腹もすいてきたところで、おいしいものでも食べましょうか。なんでもありそうです。
ただ、ここから駅と反対方向に歩くと、そこにも、とても
楽しい散策ポイントが待っているのです。そこもまた次
回にご紹介します。
それにしても、ゼームス坂物語、映画かドラマにならないかなあ、ゼームス坂で撮影をしてくれないかなあなんて思える1キロでした。
(品川ウォーキングライター・キタロー)